映画「君の名は。」からあれこれ哲学してみました。

2016年秋、TOHOシネマズで、映画「君の名は。」を鑑賞しました。
当時の彼氏(今は夫)に、私がこの映画見たかったので、付き合ってもらいました。

途中までは、なんだ普通だなと思って見ていましたが、途中からのどんでん返し的展開にビックリしました。
巷では、構成に甘いところがある、という感想をもっていらっしゃる方もいらっしゃるようですが、普通に娯楽として鑑賞した身としては、120%の面白さだったし、よく考えたな、と単純に感心しました。

「むすび」や「かたわれ」などのキーワードがありますが、三葉と瀧は、宮水の血のためか、時空のいたずらか、運命か、奇妙な出会いをしますが、当然ですが2人は別の人間です。それぞれが個々人なわけです。
そう考えると、三葉と瀧は、もともと魂のかたわれだったとかではなく、上にあげたような何かの要因が働いて「むすび」つけられたものではないかと個人的には思っています。
私は基本的には魂は「心」に7割「身体」に3割くらい宿っていると思っていますが、入れ替わりが起きた時に、結果的に「かたわれ」状態が創り出されたのではないでしょうか。

輪廻転生という仏教の言葉は、日本で育った人間であれば、なんとなく考え方を知っていると思います。
私も子供のころ、転生や死について疑問をもち、勝手に悩んで考えていたことがあります。
大人になった今は、子供の時ほどはそういったこと(考えても答は見つからないもの)について考えることが少なくなりましたが、今でもその当時考えたことは沁みついています。

永い年月をかけて、人の魂は転生すると思います。
よって、前世、それ以前の前前世というものはあると信じています。

人の心は、それだけで不思議なものです。
であれば、生まれ変わるという不思議な現象が起こっていてもおかしくはないのではないかと。

少なくとも、この考えを提唱したお釈迦様や、前世の記憶がある、という方は、自分でそう信ずるに足る何かをお持ちなわけです。

ただし、自分にもそういえ前世があったと想像できるかというと、さっぱり分かりません。
そういう風にできているのだと思います。
そして、特別前世がどうだったということは、影響しない方(影響が自分にはわからない方が)新鮮でよいのではないかと考えます。

前世の自分から何かメッセージがあって、受け取ったならそれもよいですが、自分で何も感じなければ、それはそれで前世の自分が生まれ変わった自分に何かメッセージを送る必要はないと考えたのだと勝手に解釈します。

三葉と瀧が赤い糸で結ばれていたかというと…
従来から運命づけられていたかというよりは、三葉と瀧が自分たちで「むすび」を創ったという方が正しい気がします。
なんでまったく面識のない2人が出会ったか?入れ替わったか?という問題はありますが、赤い運命の糸でなければならなかったとも限らないと思います。

思うに、宮水の血は、土地や人々を守るために入れ替わりの力を与えていたのであって、宮水の子孫と誰かをハッピーエンドでくっつけたかったからではないと思うのです。
例えば神様か誰かが適当に、正義感がちゃんとあって、行動力もあって、宮水の子孫と同じくらいの年齢で…いざ、彗星が落ちる時ちゃんと動ける人を抽出していたら?
選ぶ過程で、恋愛感情もあれば、さらに意図したとおり動いてくれるだろう程度で男子を選んだかもしれません。
その人(結果的に瀧)が三葉とつっくかなければならない理由は、ないと思います。

結果的にうまくいったので、運命の人になったという感じでしょうか。

運命の赤い糸という考えは好きですが、ずっと前から運命が決められているなら、私たちの努力では何も変えられないことになり、それはそれで悲しさを感じます。

もっとも、結局は信じるか信じないかで、赤い糸は存在するかどうかは、考えても永遠に分からないものの1つだと思います。
そう考えれば、私たちが運命に対してどう感じていようが、運命には何も影響しないのだと思いますが。
(だからこそ自由に考えてよいのだと思います。)

私は今、結婚して幸せですが、夫が運命の人であろうが、違おうが、一時でも幸せを得られたので満足しています。
なので、夫が運命の赤い糸の人かどうかは、私にとっては大きな問題ではありません。

幸せを感じることができるかが重要です。

なので、運命の赤い糸の人に出会えたかどうかは、半分YESで半分NOです。
分からないというのが本音です。

占いでもし出会えたとして、その人がそれで幸せなら、それはそれで素敵なのでないでしょうか。

 

ちなみに私が今の夫と出会ったのはマッチングアプリです。

 

婚活アプリ 体験談